鋼の機体でダンスを
体を失ってどれほど経っただろうか。ウォルターに起こされた頃はまだギリギリ動ける身体があったのだが、再教育センターでほとんど破壊されてしまった。なんとか乗り込んだACのお陰で脱出はできたものの、ザイレムではもう、ACの生命維持装置がなければ動けない状況だった。
だからすっかり死んだものと思っていた最後の記憶から意識を取り戻した時、自身に手足の感覚がないことも、体温が感じられないことも、全て納得がいくものであったのだ。
だから、そんな顔はしないでほしい。
脳波によって紡ぎ出された電子音声からは、無機質な音しか出てこない。こちらは死ぬはずだった命を繋いでもらって感謝しているし、彼が責任を追うことも悲しみを感じることも不要だということを伝えられているだろうか。
今だけは少し、あの苦しくて仕方がなかった肉の体が恋しい。あれさえあれば、ラスティを抱き締められたかもしれないのに。
*
「やあ戦友。今日は君との協働の日だな。待ち遠しかったよ」
『ああ。わたしもだ』
ラスティが手際良く培養液に浮く脳が入っている容器に繋がるコードを抜いていく。これは血液を循環させたり、脳に酸素などを送るために必要なものらしい。詳しいことは分からないが、要は生命維持装置だ。一時的に酸欠状態のように意識が遠のくが、小型の生命維持装置へコードが繋がれると思考がクリアになる。
カメラ越しにラスティと目が合い、大丈夫か?とひと言声がかかる。
律儀に毎回確認されるそれに大丈夫だと返答すると、表情が柔らかいものになる。これもいつもそうだ。
レイヴンの世話を勝手出たらしいラスティは、毎日わたしの元へ来て部屋の清掃や設備のチェック、その日起きた出来事などの雑談をする。わたしが任務の際はこうやって脳が入っている容器を胸の前で持ち、ACへの運搬・設置までを一任してくれている。
解放戦線において貴重な戦力であるレイヴンに丁寧に接するのは理解できるが、いくらなんでも世話を焼き過ぎているように思える。ラスティだって暇じゃないのだ。むしろ疲れている様子も度々見かけるので忙しいに違いない。人手が足りないのか、他人に任せるほど信頼している人間がいないのか。足のない私には分かりようがなかった。
「戦友、どこか違和感はないか?」
ACのコックピットに容器が設置され、コードも付け替えられた。機体の通常モードの起動が確認でき、数値上もおかしなところはない。
『大丈夫だ。ありがとう』
「よし。それじゃあ外で会おう。君は先に格納庫から出ていてくれ」
『了解』
ラスティがコックピットのハッチを閉める。
そのあと機体越しに彼が肩のあたりを歩く感覚がした。
ガコガコと鉄板の入った靴の底が体重をもってフレームを叩く。その遠慮の無さは、恐らくわたしに衝撃が伝わっているとは知らないのだろう。なんとなくそれが心地良かった。
生身の体の感覚とはまた違う鋼の体は、何をしても辛くなることがない。痛みも感じず、息苦しくなく、重くなく、しなやかに飛ぶ。
ずっとACに乗っていたいといつかラスティやフラットウェルに直談判をしたことがあるのだが、何かと理由をつけて却下されてしまっていた。
任務外は格納庫で大人しくしておくと言っていたのだが、やはり警戒されてしまっているのだろう。こちらがその気になればこんな拠点はすぐに破壊できてしまうからだ。
だがこのACは外部から操作できるソフトがインストールされている。許可した覚えはないので無断でだ。指摘をしたことがないので、こちらにバレていることはあちらは知らないだろう。
その気になれば、ACに乗っているわたしを殺すことは造作も無いということだ。それでもダメらしい。
ちなみに、エアはコーラルと人との共存の方法を探しに旅立った。動けなくなったわたしと共にいても進展は望めない為、わたしがそうさせたのだ。
今のところ、彼女はまだ戻らない。
格納庫を出てラスティと合流する。
今日の任務は惑星封鎖機構が置いていったHC機体が再び稼働していると報告を受け撃破しに行く。恐らくアーキバスが鹵獲し修復したものが残存部隊に渡ったのだろう。
*
火花を上げる機体を見下ろした。ラスティとの協働は敵無しだ。心臓もないのに鼓動の高まりを感じていた。
彼との協働は心が、体が一つになったような心地になる。
欲しい時に欲しいサポートが来て、こちらのサポートもぴったりとハマる。相性が非常に良い。
『任務完了した。問題はないか?』
『ああ。こちらは問題ない。君は?』
『異常無し。帰投しよう』
『了解。そうだ戦友、海を見に行かないか』
『…海?』
唐突な言葉に思考が一瞬止まる。
『ああ。AC越しの君とも個人的な時間を過ごしたい』
オルトゥスのアイカメラがこちらを向いている。その向こうに彼が微笑んでいる表情が見えた気がして、少しだけ面食らってしまう。
『構わない』
『ありがとう』
笑みと共に溢された感謝にまた不思議な感覚になる。彼はまるでこちらが普通の人間かのように振る舞うのだ。奇特な人だ。それか、仕事の一環としてやっていることなのか。わたしには判断がつかなかった。
*
海を眼下に見下ろせる小高い丘に着いた。周囲は変わらず白一色で、曇った空を反射させた海も灰色に染まっている。右隣に立つ彼のオルトゥスが鈍く光を反射して、彼が本物の海のように見えた。そこだけ色があるような錯覚を覚える。
『どうした?』
海を眺めていたオルトゥスが顔だけを僅かにこちらへ向ける。
『私はここからの眺めが好きなんだ。今日は生憎曇っているが、快晴の日なんかは海面がきらきらと輝いて、視界いっぱいに広がる青がとても美しくてね。いつか君にも見せたいよ』
風景を美しいと思ったことはないが、彼がそう言うならとてもよいものなんだろう。
『その時は、今日のようにラスティが隣にいるといいな』
率直な感想を述べると、ふふ、とマイクから微笑みが溢れて聞こえてくる。
『口説いているのか?』
『そう思っただけだ』
『…光栄だ。必ず二人で見に来よう』
『ああ』
波が岩壁を叩く音をマイクが拾う。
風がフレームを撫でてひゅうひゅうと鳴っている。
培養液に空気が入れられる音がした。
絶え間なくマイクは音を拾うのに、静かだと感じた。
薄暗い部屋で一人でいる時とは違う静けさだ。
そう、たまに夜、何も言わずわたしを眺めるだけの彼がいる時のような。
アイカメラを横へ向ける。オルトゥスのアイカメラもこちらを向いていた。
『どうした?』
今度はわたしの方から聞くと、ラスティは我に返ったように息を漏らす。
『ああいや、…』
珍しく口籠もり、意を決したように深呼吸がひとつ。
右手に何かが触れる。持ち上げられた手を見ると、彼の左手がわたしの右手を掬い上げていた。
『…よければ踊らないか?』
『…おどる…?』
つい、と手を引かれて右足を踏み出す。
『このまま帰るのは勿体無いだろう?』
手を引かれるまま、一歩、二歩と進んで、左手も彼の右手に収まった。
『まて。踊ったことがない』
『構わないさ』
左手を勢いよく引かれて、くるりと反転し立ち位置が逆になる。
こちらへ右足が踏み込まれて、避けるように左足を下げた。
今度は右足と右手が同時に後ろへ下げられ、こちらも合わせて左足と左手が前に引っ張り出された。
『わ、わ』
『ふふ』
右手から彼の手が離され、左手を体の外側へ引かれて頭上へ、そのまま慣性に任せて一回転。
『わわ、ラスティ、』
『ん?』
両手を繋いで中心を軸に右回りにブースターが軽く吹かれて、こちらも合わせるとくるくると回転しだした。
硬い地面と脚部の底が擦れて鋭い音が響く。
目がない代わりに脳が視界を制御する。くるくると回る視界の先は、正確に捉えられない風景と、細部まで確認できるオルトゥスの頭部パーツ。
右手が離された。じゃあ次は、と思った通り左手も離されて、そのまま一回転。右手を差し出すと彼が手を取ってくれて、こちらが頭上へ持っていくとオルトゥスも一回転する。
『ふふ』
自然と笑みがスピーカーを通って出力される。
それでやっと気づいた。
『楽しいな。戦友』
『ああ。ふふ、楽しい。ラスティと踊るのは』
協働みたいに息が合う。
手を取り合って、くるくる回って、流れに身を任せてステップを踏む。
ただそれだけなのに、水平線に太陽が浸かるまで飽きることなく踊り続けた。
太陽が完全に隠れてあたりが暗くなる。
これでおしまいだとお互いに理解していた。
ラスティが繋がれた右手の指をほどき、指がてのひらを撫で、指先同士が少し曲げられたあと、名残惜しく離れていく。
機体の間を風が通り過ぎていった。
お互いに何も言わず、そこに立ち尽くす。
体がないのに、熱を持ったような錯覚に陥った。
わたしに体があれば、と今ほど思ったことはない。
『ラスティ』
『なんだ?戦友』
『また踊りたい』
『私もだ。……』
ラスティが深く息を吐いて、明るい声色を出す。
『…さて。じゃあ帰ろうか。ここいらは照明がない。道中気をつけるんだぞ。戦友』
『ああ。了解』
足に根が張って動けなくなる前に。
アサルトブーストを起動させ、無理やり空へと飛び出した。