過去の記憶と今

旧採掘場で企業の残存兵が何かを企てているという情報を掴んだ解放戦線は、念には念を入れレイヴンを向かわせるという判断を下した。
解放者レイヴンへは、その実力から主に防衛任務や他の人間では手がつけられない戦闘任務などを任せており、今回も敵の数が把握しきれていないことや、万が一敵に捕捉され囲まれてもレイヴンであれば脱出が可能だろうという考えがあってのことだった。
実際、レイヴンは敵の通信を傍受し十分に情報を集めた後、運悪く敵に見つかってしまうが、被弾も少ないまま洞窟の中腹まで逃げ延びていた。
だがそこで想定外の事態が起きてしまった。企業MTの攻撃が放棄されていた採掘機のジェネレータに引火し、付近の機械へも爆発が誘発、その振動により刺激されたコーラルが吹き出してしまったのだ。
見覚えのある景色にアサルトブーストで駆け抜けるレイヴンだったが、洞窟から出た頃にはACは大破寸前。身軽な軽量機で来たことが仇となった。



病室のベッドで全身を包帯で覆われ横たわっている戦友の手を握り、額を当ててただ目を覚ますことを祈った。
規則的に発せられる心拍を示す電子音と、酸素を送り込まれている彼の呼吸音だけが病室を満たす。
警句も、神も、全てくだらないことであったが、戦友のためであれば、意味のないことであったとしても祈らずにはいられなかった。峠は越えている。あとは目を覚ますのを待つのみだと医者が言っていたのが3日前だ。戦友は未だ目を覚さない。
戦友が解放戦線へ降りてきてから毎日顔を合わせ、同じ部屋で生活をしていることもあってか、いつ訪れるか分からないその時をひたすら待ち続けるのは耐え難い時間であった。

今日も任務が終わってから病室に篭り何時間が経っただろうか、ひとつため息をついたところで、戦友の呼吸が普段と異なるものになるのを耳が捉えた。
勢いよく顔を上げ戦友を食い入るように見つめると、その瞳を隠していた瞼がゆっくりと開く。
顔を出した黒い瞳は部屋のライトの光を受けても翳っていて焦点が合っていなかったが、それでも漸く目を覚ました。
「戦友」
胸の奥が熱くなって顔を覗き込む。自然と握る手に力が入った。目頭が熱くなって、湧き上がる気持ちにどうしようもなかった。立ち上がりたくなるのを抑えて、静かに声をかける。
「戦友、戦友」
黒い瞳がこちらへ向けられる。
ひとつ瞬きをして、手に弱い力が込められた。
薄く開かれた唇から、掠れた声が耳に届く。

「ジェイク、生きていたのか」

──ジェイク?
初めて聞いたその単語が人名であることに気付いたのは数秒経ってからだった。息をするのも忘れるほどの衝撃が心臓を慌ただしく脈打たせる。頭の先からどんどん体が冷えていく感覚に襲われ、指先が、震えてきた。
「よかった。もう会えないかと」
安堵を滲ませた柔らかい声色を紡ぐ戦友は、薄く口角を上げ、目を細めた。そのまま瞼が閉じられると、再び規則正しい呼吸で眠りにつく。

病室に響く電子音で時が進んでいることは明白なのに、まるで時が止まったかのような錯覚に陥った。自分だけが切り取られて、取り残されたかのような。
「ジェイク」
一音一音確かめるように発音してみる。
その名を発したことでやっと思考が追いついたのか、先ほどの光景がリピートされた。
戦友から聞いたことのない声色で、見たことのない表情で、感じたことのない温度を直接浴びた。誰だか分からない相手に対するそれを。
ふつふつと、湧き上がるものに視界が赤くなるようだった。
男性名らしきその名は解放戦線では聞かない名で、ハンドラー・ウォルターの周辺人物にもその名を見たことがないし、アーキバスにももちろん居ない。ベイラムは把握しきれていないが、彼はベイラムに直接出入りしていなかったので、番号付き以外との交流は無いだろう。
とすれば、彼がC4-621となる前に関係があった人物だということしかありえない。

頭がくらりとして靴の先へ視線を落とした。一時的にでも目を覚ましてくれた喜びを塗り替えてしまうほどの黒い感情が腹の底で渦巻く。気付いたそれにひとつ舌打ちを溢して、席を立った。後ろへ下がった椅子が大きな音を立てる。はっとして目を向けるが彼の瞳が現れることはない。

先ほど戦友が目を覚ましたことに素直に喜べない自分が愚かで許し難く、爪が食い込むほどに握り拳を作る。
「戦友、おやすみ。また来るよ」

静かに閉じられた扉は、暫く医者以外の手で開かれることはなかった。



戦友はすっかり回復し、包帯もとれて普段と変わらぬ様子となった。
普段のように感情の見えづらい表情をして、抑揚のない声で話す。あの時聞いた安堵の声と、微笑みからは遠くかけ離れていたが、自身のよく知る戦友が戻ってきてくれたことに安堵した。
あのままもし記憶が戻れば、と思うと背筋がぞっとする。きっとこの星から出ていってしまうのだろう。あの表情を見せられる相手を探しに行くために。会いたかったという感情が、嫌というほど分かってしまったから。
私は"ジェイク"にはなれない。あの戦友を引き出すことはできない。戦友から何かしらの感情を向けられたことがない私は、彼にとってどのような存在なのかすら、怖くて聞けなかった。ただ、君の戦友は私であると、半ば押し付けがましいとも言えるそれを、宣言することしかできなかった。

「戦友、もう痛むところはないか」
「ああ」
戦友の指先から腕の付け根まで軽くマッサージを施す。彼はただそれを見下ろしていた。
「体に違和感は?」
「無い」
「今日はACに接続してみようか。いきなり任務は危険だ。慣らしから始めよう」
「…ああ。わかった」
手を開いたり、閉じたりを繰り返して、その体の動作に問題がないか確認しているようだ。その機械的なようにも見える仕草に、ずきずきと胸が痛む。
隠していて良いのか、彼が人間らしくなるには、過去の記憶が必要ではないのか。
戦友が私と日々を過ごすだけでは、何も変わらないんじゃないか。

こちらをちらりと見た戦友と、目が合う。
彼の指先が、私の前髪を横へ流した。
私がよくない感情を持っている時、戦友はこれをしがちだった。心配されているようで嬉しくなってしまう。だが今回はこちらに非があった。後ろめたさから下を向いて顔を隠す。
「…どうした?」
「……」
口を開いて、閉じる。
彼はただ、こちらの返答を待っていた。
沈黙に耐えかねて、半ばやけになって口を開く。
「戦友、君は記憶を取り戻したいと思うか」
唐突な質問に、戦友は大して動揺もせず返答した。
「…思わない」
「なぜだ?」
「背負ったからだ。このルビコンと、お前を」
吸い込まれそうな黒い目で真っ直ぐ見据えられる。
どくり、と心臓が熱く鼓動した。
「……私を…?」
「?…ああ。お前を一人にはさせない」
「それは……」
言葉が喉に詰まって、唾を飲み込む。
「どうして…」
「そう思ったからだ。共に生きたい」
「……私と…?」
「ああ」
どくどく鼓動する心臓を落ち着かせるように、ゆっくり息をする。

調子の良い話かもしれないが、ここまで言われてしまって黙っているのはフェアじゃ無いと思った。遠くにいるだろう、戦友が想っている人に。
意を決して、その名を告げる。
「君が以前、意識が朦朧としている時に溢した名がある。"ジェイク"と言っていた。記憶にないか」
「ジェイク…?ジェイク、……ジェイク…」
視界を斜め下へ落とした戦友は、何度もその名前を口にした。
「確かに口馴染みのある名だ。……何か思い出せそうな気もするが、それがどうした」
戦友の手を握る。意図せず、祈るような形となっていた。
「……思い出すべきだ。それでも尚、私と共に生きてくれるなら…これ以上の喜びはない」
「なぜ今それを?」
「私が臆病だったせいだ…。私の手を取ってくれた戦友を後悔させたくない。…まだ間に合う。すまなかった。隠していて」
「構わない。…分かった、思い出すよう努めよう」
「…ああ」

それからどのくらい経ったか、暫く見つめ合ってしまっていたようだ。
戦友が少しばかり困ったように僅かに眉を下げた。
「…ACのリハビリをしても良いか」
「あっ、ああ、そうだな。すまない。行こうか」
ぱっと手を離して慌てて席を立つ。
不意に熱くなってしまった頬を隠すように背を向けて、病室のドアを開けた。



「ひとつ思い出したことがある」
ついにきたか。喉の奥を引き締めて、何を言われても受け入れると自身に言い聞かせる。
「…ああ、なんだい?」
「ジェイクは俺の親友、兄弟、相棒のような男だったが…」
「…ああ」
「目の前で殺されている」
戦友はなんでもないように続けた。
「確かに息を引き取る瞬間を見た。脈が止まるのを確認した。冷たくなるまで抱き締めていた。…思い出せてよかった。お前のおかげだ」
ほんの少しだけほっとしている自信の性格の悪さに嫌気がさすと同時に同情する。似た経験を知っているからだ。
かける言葉が見つからず、戦友の手を掬って、握り込んだ。
「ラスティ」
「なんだい、戦友」
「二度とあってほしくない」
「…そうだな。辛かっただろう」
「だから、ずっと近くにいてくれ」
喉が狭まって、吸った息が僅かに音を立てる。何も言えず、心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。
「死ぬ時は一緒だ」
まっすぐこちらを見るその瞳が、私の顔を反射している。
目の奥が熱くなって、溢れ出しそうなものを見られたくなくて、ずっと触れたかった彼の背に腕を回す。
「……ああ。……ありがとう」
ついに目の端から雫が落ちて、それに内心苦笑してから悟られないようにわざと明るい声を出した。
「プロポーズと受け取っても?」
「…そういう話だったか?」
「変わらないさ」
これから死ぬまで、ずっと共にいるんだろう?
戦友は、少しだけ息を漏らして穏やかに微笑んだ。

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