朝食は温かいスープとベーコンの乗ったパンがいい

C4-621は星を焼いた後、燃え盛る星に背を向けて、宇宙を揺蕩いながらハンドラー・ウォルターの最期のメッセージを聞いていた。
初めて零す涙がコックピット内に浮かぶ。
滲む視界に空になった頭で、やけに静かな宇宙空間をぼうと眺めていた。これからのことなど何も考えておらず、全てを失って空虚を理解した時、ピコン、とマーカーが更新される音が機体内に響く。

これもウォルターによる自動送信だった。その先は名前も知らない惑星で、入星するための手筈が書かれた簡素なログ、そして"行くかどうかはお前が決めろ"という一言だけの文字のメッセージが添えられていた。
このままスペースデブリになるのはウォルターの遺志に反すると考え、せめて普通の人生というものを知るべきだ、死ぬのであればあの人が望んだそれを叶えてからだと、621はギリギリの燃料でブーストを噴かす。

入星の際は紆余曲折あったのちACを乗り捨て、621はやっとのとこで白と灰は少なく緑と青がある惑星へと降り立った。

621がこの星へ来て驚いたことが2つある。
1つは気候が安定していて、植物と水が豊富で空が青いこと。
そして2つ目は物価が非常に安く口座にある金で人生が2周できるほどだったことだ。
死ぬまでに使い切れそうにない金で新しくACを買うことも可能だったが、621はまず手術で焼きついた脳や内臓の機能を取り戻すことにした。
この星では戦争が起こっていないからだ。
不測の事態を予測し、強化人間の世代をアップグレードしての手術内容となった。見た目ではただの人間と変わりない。

街の人間は農作業をしている男よりもいくらか細身の621に警戒する人間はそれほどいなかった。戦場上がり独特の目つきだけは同業者には分かるようだったが、体つきのお陰もあってか無害だろうと敵視する者はいなかった。
"621"と名乗っているせいで訝しい目で見られることも多々あったが、無害な性格もあってか苦労人として扱われた。
621は(大家が世話焼きなこともあり)難なく手狭な部屋を借り、不審がられないよう日雇いの仕事をたまにしては、無口で愛想が悪いが真面目で不器用な苦労人としてこの街に馴染みつつあった。

その日もいつものように日雇いの農業用MT整備の仕事を終えて帰路に着いていた621は、強化人間用の義眼越しに見える風景の隅に表示されている日付を確認する。
星を焼いてから3年が経っていた。
廃星になったあの星からコーラルが採れるという情報はまだ入っていない。全て焼ききれたのか、地中深くで未だ眠っているだけなのか、ニュース記事以外で調べる術のない621には分からないことだった。
だが万が一、またコーラル採取が可能となった暁には、もう一度星を焼くという使命を621は密かに抱えていた。

借りているアパートまですぐそこというところで、すっかり考え込んでいた621は背後から伸びる腕に気付くのが遅れる。
戦場とは異なる平和な地で数年過ごした621には、周囲を警戒するという癖がほとんど抜けきっていたせいだった。
その腕が胸の前で交差して、力が込められる。
そうしてやっと背後を取られたと脳が知覚した621は反撃の態勢に入ろうとするが、耳に注がれた声に体が強張った。
「戦友」
急速に流れる戦場での記憶に固まったまま返事もできず息が詰まる。
あの時自らが殺したと思い込んでいた、あの星を救おうと足掻いていた"戦友"が。
「…漸く見つけた…!」
震える声は掠れていて、喉の奥が引き攣っている。泣いている、と気付けたのはここで暮らした3年のお陰だろう。
後ろから抱き竦めるラスティに、621はどうしていいか分からなかった。どういう気持ちを持っているのかが分からない。もしかしたらここで喉を掻っ切られて、首を折られて殺されるかもしれない。だが、その懐かしい声に、腕の中から抜け出そうとできないでいた。
嬉しかったのだ。殺した彼が生きていて。

「…ラスティ、生きていたのか」
前で交差する腕を撫でたくて手を伸ばす。
「ああ…他は全て失ったが…」
が、その手はぴたりと止まった。
「…一つだけ残っていた」
621は胸を痛めた。全てを奪ったのは621だ。泣いているラスティを慰める権利など無い。
それならば、と621は考える。わざわざ自分を探しに来たのは理由があってのことだろう。彼が探していたその"残っていた一つ"は、彼が失わないようにしなければいけない。
これは贖罪だ。エゴだとしても、戦友と呼んでくれた彼に報いたい。
殺し合いなどしたくなかったのだから。
「ラスティ…ここでは人目がある。部屋へ来い」
腕を掴んで降ろさせようとすると、抵抗もなく腕が解かれた。
「ああ…そうだな」
涙に濡れた瞳のまま微笑む彼は綺麗だった。

*

野次馬の視線を受けながら621の部屋へ入ると、ラスティは力を失ったように倒れた。
先ほどは気が付かなかったがかなり窶れているようで、暫く寝ていないのか目元の隈はひどいものだった。621は自身より背丈があり体格の良いラスティを苦労して担ぎ、ベッドへと寝かせてやる。
顔には火傷跡が広く残っていて、傷を縫合した跡もそのままにしているようだ。あの星を出て手術で皮膚を張り替えた621とは対極にあった。
今の脳ではラスティの顔は整っていたのだということが分かる。皮膚にこれだけの傷を残していても、美丈夫なことに変わりは無かったからだ。

そういえば、と窓の外を見るも、やはりラスティは荷物を持っていないようだった。どこかにACを停めているのか、本当に何も持っていないのか判断がつかなかった621は、着替えや食料の買い出しが必要だと考え、念のため書き置きをして部屋の扉を開けた。
…そこには、耳を立てていた複数人の世話焼きや野次馬がいた。


後ろ手で扉を閉めて鍵をかける。
騒がないように、と人差し指を口の前に上げた。
「…趣味が悪い」
苦言を呈するといくらか悪いと思っているのか、申し訳なさそうにした大家が口を開いた。
「彼はなんだ?お前のコレか?」
小指を立てられる。ソレは食事の席で見たことがある。恋人というサインだ。
「違う」
「じゃあなんだ、死人に会ったような顔をしていたが」
その通りなのだが、その通りだと言うのは得策じゃないだろう。
「昔馴染みだ。…3年ほど前に共に仕事をしたことがある」
「仕事を?…にしては…」
「彼は疲れているようだ。暫く寝ていなかったように見えた。そのせいもあるんだろう。着替えや食事を用意する必要がある。彼のためにも解散してくれ」
「…お前がそう言うなら仕方ない。落ち着いたら聞かせてくれよ?さぁみんな、散った散った。2次会は居酒屋で」
まだ噂話をするつもりかとげんなりする。明日には街中に知れ渡っていることだろう。
「あと、お前の部屋2人じゃ狭いだろ?もう少し広いのが残ってるんだ。今の部屋より値は張るが必要なら声をかけろよ?」
「分かった」

ひとつため息をついて、彼らの後に続くように階段を降りた。
自分よりワンサイズ大きい服を上下数着、食べ物は消化が良くて栄養があるものが良いだろう。
この街は自給自足が可能なほど畜産と農業が安定している。金が無くても物々交換や労働で食べ物が手に入るほどだ。
ルビコンとはまるで違うので栄養価が高すぎても良くないかもしれない。
と、この星に来た当時、栄養価が高すぎて腹を下した時の記憶が蘇った。


硝煙と、鉄と錆の匂いがする。
機能停止したAC内は非常灯も点かず何も見えない。幸い目は生きていたのでナイトビジョンモードに切り替える。割れたモニターと操作板、目に映る手と足を動かした。運良く5体満足のようだ。この軽量機で肉体の損傷が少ないのは奇跡と言えるだろう。
どうやらACと接続したまま意識を失ったお陰で、ACの生命維持装置もギリギリまで機能していたらしい。
どれほど眠っていたのか、目に映る日付を確認すると戦友と戦った日から2週間は経っているようだった。強化人間といえど意識を失ったまま2週間も生き延びるとは…全てはオルトゥスのお陰だろう。もう動かない機体を労るように撫でた。こいつともここまでだ。
非常食を少量ずつとり、暫く体力回復に努めた。その後、ハッチをこじ開けてなんとか外に出る。

外は…想像通りだった。

火は鎮火していたが、雪が灰に差し替えられたように土の上を覆っている。
バスキュラープラントは上から3分の2が無くなっていて、残りもひしゃげていた。
周囲には様々な残骸が山を成していて、それらが暫く炎からオルトゥスを守っていたのだろうと合点する。

さて、これからどうしたものか。
このまま死ぬのも良いな。と疲れた脳が囁くが、オルトゥスが守ったこの命を無駄死にさせるのも気が引けた。
気が引けたのであれば、それは生きる意味になるだろう。

それから目標を立てた。
ただこの星を、この星に住まう人類を守るために生きていた。それらがもう無いのだから、生き方が分からなかったのだ。
一先ず、戦友を探す。
彼はしぶとい。生きているはずだ。
いや、ここまでして私を残し死ぬなど、絶対に許さない。

ACから出て地面へ足を下ろすと灰が舞い上がった。
その灰に紛れて、一度だけ目にしたことのある背中が見える。
あれは。
手を伸ばして、名前を呼んだ。
「戦友!」

目を覚ますと、見覚えのない天井が広がっている。
慌てて起き上がるが、眩暈がして視界が明滅した。
「安静にしていろ」
聞き覚えのある声が聞こえて、走馬灯のように全てが駆け巡った。戦友を見つけて、戦友の部屋に行ったのだった。
くらくらする頭を手で押さえて、眼球をそちらへ向ける。
鍋をかき混ぜている戦友がいた。

状況を理解してやっと鼻腔が追いつく。
柔らかな甘い香りがする。じわ、と唾液が分泌された。記憶にはないが本能が美味しい匂いだと叫んでいる。絶え間なく分泌されるそれに慌てて口を手で覆った。飲み込んで、ごくり、と喉が鳴る。
「今温めている。起きられそうか?」
火を弱くした彼はポットからマグカップに透明の液体を注いだ。湯気の出ているそれを手渡される。
戦友、らしき姿で戦友の声帯を持つ彼に違和感を感じながら、マグカップを受け取った。温かい。匂いは無い。毒入りか、睡眠薬でも入っているのだろうか、しかしこれを飲まなかったとしても満足に動けない体ではどうすることもできないだろう。
マグカップを受け取って液体を眺めている私に疑問を抱いたのか、戦友が一言付け加えた。
「お湯だ。36度程にしてあるから舌を火傷しないはずだ。ゆっくり飲め」
そうして背を向けた彼は鍋の方へと戻っていき、温まったのだろうそれを器によそう。少し粘度があり、粒々したものが入っているようだ。所々赤い色や緑の色が見えた。

マグカップに唇をつける。
ひと口にも満たない量を一度口の中へ入れた。
温かい液体は渇いた舌を覆って、次に頬へと染み渡る。
飲み込むほどの量がなかったそれを再度マグカップから口の中へと注いで飲み込んだ。
喉、気管、胃と徐々に温かい液体が体の臓腑に染み渡っていく。
ほぅ、と息をついた。

体が拒絶反応を起こさないように、すぐ大量に飲み干したい気持ちをなんとか抑えてちびちびとお湯を飲む。

「ラスティ、念のためお前が寝ている間に医者に簡単に診てもらった。睡眠不足、栄養失調、脱水症状があるらしい。暫くはそこで療養しろ」
ああ、分かった。と返事をしようとしたが、うまくいかず咳き込む。ゆったりとした足取りでこちらへ来た戦友が手を伸ばした。
反射的にそれを弾く。渇いた音が部屋に響いた。
持っていたマグカップが床を叩いてお湯が広がる。
「…すまない」
マグカップを拾い机の上へ置いて、厚手の布を持ってきた戦友は床に広がったお湯を拭いた。
「あ…」
やっとことで状況を理解し、どっと罪悪感で胸が覆い尽くされる。
「す、すまない。戦友、私は…」
そんなつもりはなかったと口をついて出そうになった言い訳を飲み込んだ。言い訳をしたかった訳じゃない。
「構わない」
床を拭き終わった戦友は、小さなダイニングテーブルをベッドの脇に持ってきた。マグカップには再びお湯が注がれる。
その隣にはとろりとした液体の入った器があった。
「…ありがとう…その、食べ物はなんだ?」
「お粥という。穀物と細かくした野菜を熱湯で柔らかくしたものだ。今日はこれで胃を慣らし、明日以降は通常通りで問題ないようだ」
机を挟んで向こう側に椅子を持ってきた戦友は、そこへ座ってお粥とやらを口に入れる。表情が変わらない彼が食べていると、味気ないレーションと大差ない味なのかと疑いたくなる。が、匂いだけでここまで揺さぶられるのだ、美味しいはずだ。
器を持って、器に入れられているスプーンももう一つの手で持つ。スプーン一杯分を掬って、口の中へ運んだ。

優しい甘みのある液体と穀物と野菜が舌の上に乗る。口から鼻へとその甘い香りが抜けて一瞬思考が持っていかれた。一度噛むと、野菜はとろりと溶け、ほんの少し抵抗した穀物はすぐ両断される。これは噛むたびに甘さが増すようだった。すぐ飲み込みたい気持ちを携えたまま、食感が無くなるまでしばらく噛み、そして飲み込んだ。
「美味しい」
自然と口から溢れた言葉に、戦友が薄く微笑んだ。…気がした。気のせいかと思うほど一瞬だった表情はすぐに無表情へと戻ってしまう。今確かに微笑んだ気がしたのだが。
そうこうしているうちに戦友は食べ終わったのか、器を置いて椅子に座ったまま少しだけ姿勢を楽にした。
その目が、こちらを見ている。
感情が乗っていないように思える黒い瞳は、周りの景色を反射して映している。何も見ていないようなそれは、全てを見通しているようにも思えて、少し、居心地が悪い。
「戦友、その、見ていて楽しいものでもないだろう?」
「…楽しくは、無いな」
「そう見つめられると…少し食べ辛いな。私のことは気にせず、君のしたいことをしていてくれ。もう暫くかかる」
その言葉で気付いたようで、すっと戦友が背筋を伸ばした。
「…そうか、気が利かずすまない。…お前が俺の作った料理を美味しそうに食べているのが嬉しくて、つい見てしまった」
そう言い残して席を立った彼は、食器を持ってシンクへと向かった。
残されたこちらはなんとも言えない気持ちが胸の奥で渦巻き、走り出したい衝動に駆られたが、なんとか口の中のお粥を胃に流し込むことで抑え込んだ。
ばくばくと騒がしい心臓を無視して、無心でお粥を口に運ぶ。あれだけ美味しかったお粥の味がなんだかよく分からなくなってしまった。


ソファや寝袋があれば良かったのだが、ほとんど必要最低限のものしか置いていないここにそのようなものはない。
床で寝るには布団が足りず、バスタオルでも敷こうかと考えていたところで、ラスティに共に寝たいと言われたのでその言葉に甘えることにした。彼が良いなら問題ないだろう。

シングルベッドが2人分の体重に唸り声を上げたが、次の広い部屋に越すまでの辛抱だ。あと3日、いや1週間は我慢してもらおう。
ラスティに背を向けて横になると、後ろから抱き込まれた。
「…なぜ抱きつく?寝辛い」
ふふ、と後ろから首に息がかかった。こそばゆい。
「きみを抱いていると安心する。まだ暫くはこうさせてくれないか?」
抱き枕として扱われるようだ。これでも寝られないわけでないので、辛抱をすることにした。
「…わかった」
ありがとう。と囁かれてその息も首にかかる。少し身じろぎをして頭の位置を変えた。暫く落ち着かなくて眠れなかったが、ラスティの寝息が聞こえてきた頃には同じく眠気に誘われて意識を手放した。


遠い昔の記憶が蘇った。まだルビコンでの戦争が激化していなかった頃、小さい小さい頃の記憶。
星間の旅人がルビコンへ訪れた時、解放戦線の住人たちは余所者を歓迎しなかった。半世紀前に焼き払われたここへ来る人間なんて碌でもないやつばかりだからだ。
だが私を含む子どもたちは違った。大人の目を盗んで、当時仲の良かった、もう顔も覚えていない同胞たちとその旅人のテントへ赴いたことがある。
そこで焼いていた、ルビコンでは既に手に入らなくなっていた、ワーム以外の生き物の肉。
その香ばしい匂いは本能を刺激し、唾液が止まらいほどだった。それを見た旅人は、少しだけだぞ、と、恐らく高価だっただろう少ないそれを切り分けてくれて、その肉のかけらを口にした時、この世のものとは思えないほど美味しくて感動したのを覚えている。

「おはよう」

柔らかな日差しが窓から差し込み、ベッドの上を温かく包む。まだぼやける視界で声のした方を見ると、戦友が柔らかく微笑んでいる…ような気がした。
目が冴えてくると無表情の戦友がそこにいた。手にはフライパンがあり、ちょうどパンの上にベーコンを乗せようとしているところだ。
ベッドから体を起こすと、いつもなら硬く解れることのなかった筋肉が、少しだけ楽になっている気がした。ぐっすり眠ることの大事さを身に染みて感じる。
何もかもを目の前の彼に焼き払われたというのに、それがなくなれば肩の荷が降りるなんて、少しばかり調子が良すぎるのではないだろうか?

「おはよう。戦友」
ぽこ、と音を立ててポットの電源がOFFとなった。湯が沸いたのだ。そちらへ向かうと、机の上には既に粉が入っているドリッパーと、空のコップが二つ。ほのかに香る嗅いだことのあるこれはフィーカだろう。ポットのお湯をドリッパーへと注いだ。
苦く酸味のある香りがふわりと鼻を掠める。
すぐ近くでトーストの上にベーコンを乗せ終えた戦友が、フライパンをシンクへ置き、それぞれの席の前へとトーストの乗った皿を置く。
そのまま自席へ座って待つのかと思えば、ドリップ中のこちらの手元をじっと見つめた。
お湯を注ぐ度にもこもこと膨れる粉の様子を見るのが好きなのだろうか。

寝起きの戦友の髪はさらさらで、陽光を浴びて表面の一本一本が輝いて見える。少し下にある顔が下へ向いていると、表情が分からない代わりに、丸く形の良い頭を上から眺められて、何故か気分が良かった。
ルビコンにいた頃は、ほとんど通信越しでしか話したことがなかったのに、今はすぐ触れられるほど近くにいるなんて変な感覚だ。
「ベーコンを食べるのは幼少期ぶりだよ」
「そうか」
端的な返事は相変わらずだが。

お互い席について向かい合う。
なんだか気恥ずかしくて目を逸らした。
戦友は気にせずベーコンの乗ったパンへ齧り付く。
ルビコンにいた頃はどことなく人間離れしていると感じていた戦友が、普通の人と同じものを食すという場面は物珍しく視線が釘付けになってしまう。そもそもまだ彼の外見に慣れていない。本当に戦友なのだろうかとさえ思っている。
心身共に余裕が無く昨日まで考えが及ばなかった点が急に気になりだしてきた。

ベーコンごと食パンを側面の真ん中から齧り付いた戦友は、綺麗に生え揃っている歯で切り離し口の中へ入れる。
一度パンを皿に置いて手で口元を隠した。…やけに行儀が良い。あのハンドラーの教育によるものだろう。目を伏せて長いまつ毛が瞳へ影を落とす。もぐもぐと咀嚼する音を耳が広い、そこは人らしさを感じられて少しほっとした。
嚥下する音が聞こえて、その瞳がこちらを捉えた。
「なんだ、ラスティ」
心臓が跳ねて背筋が伸びる。
「…気付いていたのか」
「それほど凝視されたら気付く。何かおかしいところがあったか」
パン粉がついた手をハンカチで拭った戦友は、フィーカをひと口飲んだ。ごくり、と喉仏が上下に動く。
なんと言うべきか。人と同じように食す君にびっくりしてしまった、なんて失礼にも程があるだろう。昨日も食事していた戦友は見ていることだし。
回答しない私を気に留めず、続いて二口目を齧り付いた。
同じように咀嚼し、嚥下する。手を拭う。フィーカを飲む。
少しだけ作業じみているなと感じた。

「美味しいか?」
「ああ」
戦友はもうひと口齧り付いた。
手の向こうでもごもごと咀嚼している。どことなく小動物のような愛らしさが垣間見えて微笑ましくなってきた。
怪訝そうな視線を向けられる。今日初めて感情らしい感情が見られた瞬間だった。昨日はお前が指摘したのに、なぜお前は見るんだというような表情だ。

口の中のものを飲み込んだあとで言葉が投げかけられる。
「不要なら俺が処理するが」
はっとして手元の朝食へ視線を向けた。ベーコンから出ていた湯気はすっかり無くなってしまっていた。
「すまない。せっかく作ってくれたのに。ありがとう戦友。有り難くいただくよ」
齧り付くと、焼き色が付いたパンのからっとした食感と音、そして香ばしい香りに続き、カリカリに焼き上げたベーコンのさらりとした脂が、パンに奪われた口内の水分を補って、肉と塩のマッチした塩辛さが五感を刺激した。
脳から快楽物質が分泌され、頭がくらりとした。
ルビコンでは手に入らない食物がここには豊富にあるようだ。

気が付けば手の中にあったパンとベーコンは無くなっていた。
居心地が悪くなり戦友へ目を向ける。食べ方は汚くなかっただろうか。何も気を遣えなかった。ただ恥ずかしい。だが戦友は漸くパンの3分の2を食べ終えたところで、行儀よくハンカチで口元を拭っていた。
とりあえずは気にされていないということが分かりほっとする。ような少し寂しいような。
「美味しかったよ。ありがとう」
「ああ」
ちらりとこちらを見た戦友の目尻が、少しだけ笑っているような気がした。


深夜、息苦しさに目を覚ますとラスティに首を絞められていた。
首に食い込む指をなんとか剥がそうと自身の指を間に入れようとするがうまくいかない。入りも出もしない酸素が喉の奥で乾いた音を立てる。
「悪いが、死んでやれない」
なんとか声に出して、それでもきちんと言葉になっていたかわからないそれは、ラスティの耳には間違いなく届いたようだった。
「…ああ、死なないでくれ」
霞む視界で見上げると、ぽたぽたと冷たい液体が頬へ落ちてきた。ラスティの瞳から溢れ出たものだった。
「っく…ラスティ…」
そこからの記憶はない。


次に目を覚ますと、柔らかい光が辺りを包んでいた。
朝だ。どうやら死ななかったらしい。
じくじくと痛む首に手を添える。
フィーカの香りがした。
「おはよう。戦友」
聞き慣れた声色で、まだ馴染みのない外見でそう朝の挨拶が投げかけられる。これがラスティ通常通りの挨拶なのかは不明だが、だとしたら昨夜のあれは無かったことになったのか、無かったことにしたいのか、してほしいのか。判断は付かなかった。

黙っているとラスティは首を傾げる。
彼が言及しないなら、わざわざ口にするほどのことでもないだろう。現にまだ死んでいない。
「…おはよう」
「ああ、おはよう」
トーストにマーガリンを塗って上に砂糖をかけてみたよ。と、皿に乗ったトーストを少し上へ掲げる。ほんのりと漂っていた甘い香りはそれか。ベッドから抜けて席へと着いた。


大家へ広い部屋に移らせてもらおうと交渉しに行こうと思い立ったところで、向かいに座るラスティの顔を改めて目に入れた。
自分自身は気にならないが、恐らくここではその傷だらけの顔は目立つ。

「…皮膚は、張り替えないのか」
何故か微笑んだラスティは返答する。
「…張り替えてほしいかい?」
試されているのだろうか。
その傷をつけたのは、間接的とはいえ俺のせいだ。
もしかしたら、傷を残している理由は俺の罪を忘れさせないようにする為だろうか。
「……それはお前が決めることだ」
「君の望みなら全てを綺麗に無くそう」
先ほどの考えが外れたようだ。ラスティの考えていることが全く分からない。その言葉に嘘は無さそうだった。
無くしてくれと言ったら、本当に何の未練もなく無くすのだろう。そのように感じた。
「…お前はどうしたいんだ」
「…さてね。…どうしたいのかな」
そう言って笑ったラスティは、ひどく頼りなかった。


広い部屋へ移ってベッドを二つにした。ダイニングテーブルや冷蔵庫も大きくした。2人で並んで座れるソファも購入して、周囲の冷やかしは増すばかりだった。
ラスティは適当に流していたので気にならないようだった。

そして結局ラスティ自ら顔の皮膚を張り替える決断をしたようで、少し出かけてくるよ、と言ったその日の夜に帰ってくると、顔の皮膚が全て綺麗になっていた。服を着替える時に視界の端に映った彼の体の皮膚は傷を多く残したままのようで、顔だけが綺麗になっていて全身で見るとかなり不自然だ。
意図がわからないが、暑い時期でもなく俺とラスティ以外は見えない部分だったので、今はまだ不要だと判断したのだろうか。なんとなく、踏み込めなくて聞くことができていない。

広い部屋にするのはメリットしかないと考えていたが、デメリットの方が大きかった。
ベッドが2つになってお互いがそれぞれで眠るようになってから、ラスティの眠りが浅くなっているようだったからだ。
たまに悪夢に魘されよく眠れず、朝に隈を携えていることが増えた。
抱き枕になろうかと申し出るべきか迷ったが、彼が魘される元凶などひとつしかない。むしろ人一人分開けているベッドを更に離すべきではないかと考えていた。

そんなことが続いたある日、ラスティがベッドから起き上がれなくなっていた。

ベッドの上で布団に包まり、蹲ってぶつぶつと何かを呟いている。耳を澄ませると、ただひたすらに誰かに謝っている様子だった。
さすがにこれは良くなさそうだ。布団越しにでも背中を撫でてやった方が落ち着くのではないか、と手を伸ばすが、これも、元凶は自分であったと考え、手を引っ込める。
余計に苦しませてしまうかもしれないのだ。この存在自体が、彼にとって毒の可能性が高い。
自分の存在が感知されないようにそっとベッドから離れて、サイドテーブルに水とパンを置いて、音を立てないように部屋を出た。

*

焼けた彼らがドロドロの皮膚で助けてくれとこちらに手を伸ばす。
貴方が救ってくれると信じていたのに。
お前に殺された俺の命はなんだったんだ。
偉そうなことを言って何様だったんだ。
情に流されてあの犬に負けたんじゃないのか。
「すまない」「壁で殺しておくべきだった」「悪かった」「そんなつもりじゃ」「できる限りのことはしたつもりだった」「つもりじゃ、したんだ、できる限りのことを」「戦友には届かなかった」「私では無理だった」「私にできると思っていた」「しなければいけなかった」「すまない、みんな」「私が全て」「私のミスだ」「レイヴンはあの時」「いやあの時点で既に」「ならいつ、どこで」「あの時」「あれはいけなかった」「もっと上手くやれた」「すまない」
もう全て戻らない。
ズキズキと頭が痛い。
息をするのを忘れていて、すう、と吸い込んで咽せて咳をする。
その吸い込んだ空気にパンの香りが乗っていた。
パンを食べている戦友の顔が、記憶が蘇った。
どろどろの景色が戦友で埋め尽くされた。
彼が、彼は残っていた。自分を知る唯一の戦友。
全てを燃やしたルビコンの仇。
鋭い美しさを持った戦友。
誰も勝てない、空を高く飛ぶ戦友。
並び立って仕事をした時の高揚感を今でも思い出す。
ずっと戦友と共に仕事をしたいと思うほど息の合った協働、ずっと求めていたそれを。

はっとしてベッドから飛び起きた。
嫌な汗が肌と服を離さなくて不快感から胸元をぐしゃりと掴む。
室内に目を走らせるが戦友の姿が無い。
サイドテーブルに水とパンが置いてある。
置いていかれたのか、また。
こんな、平和な地で、何も無い私を。
部屋を飛び出して鍵もかけずに駆け出す。
まだそう遠くは行ってないはずだ。今の彼はACを持っていない。
慌てている私に近くの八百屋の店主が声をかけた。話を聞くと、街を出て少し歩いた先の丘へ出かけると言っていたらしい。その言葉を頼りに足を走らせた。
強化された足でしか出せない速度で街を駆ける。
絶対に、今度こそ離さない。
私の元から飛び立つなんて許さない。
視線の奥に戦友を見つけて息を吸った。
また息をするのを忘れていたらしい。

*

丘の上で1人パンを食べながら座って街を眺めていると、もの凄いスピードでこちらへ向かってくる人間が見えた。キュル、とピントを合わせるとラスティのようだ。表情まではブレて見えないが、あの速度ではどうせ逃げられない。
…いや、逃げるつもりは元々無いのだが。何か怒るせるようなことをしてしまったのだろうか。
そういえば皿を洗うのを忘れていた。

ドッとラスティに突撃されて地面へ倒れ込む。

地面へ両手を縫い付けられて、足で足を押さえ込まれた。
パンは明後日の方向へ飛んでいってしまったようだ。
見上げると、眉間に皺を寄せたラスティが汗を一筋、こちらの頬の上へぽたりと落とした。
「どこへ行くつもりだ戦友」
くしゃ、と表情を崩して今にも泣き出しそうな顔をしたラスティは俺の首筋へ頭を埋めた。
「独りにしないでくれ」
「また君は私を置いていくのか」
「君がいないと私は…!」
喉を引き攣らせて嗚咽を溢す。
泣かせてしまった。やってしまった。
選択を間違えたようだ。
首が彼の涙で濡れていく。
「すまない。遅くならないうちに家には帰るつもりだった。俺がいるとお前の精神に悪影響があるように思い、落ち着くまで一人の方がいいかと思った」
引き攣る喉を抑え込んで、深く息を吐き出したラスティは、静かに告げた。
「そばにいてくれ…お願いだ」
顔を上げたラスティと目が合う。
赤くした目は涙で濡れていて、隈が深く刻まれている。今日も眠れなかったのか。
「わかった…すまない」
手が解放されて、ぎゅうと抱きしめられる。
背中に腕を回して抱きしめ返した。
背を撫でて気持ちが落ち着くよう促すと、呼吸が徐々に落ち着いてきたようだ。
呼吸と共にかけられる体重が増していき、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。
ずし、とかかる体重に、ここから起こさず抜け出す算段を考えた。


なんとか彼を担いで賃貸へ一歩一歩踏み出す。
八百屋の店主に驚かれたが、俺が彼を怒らせてしまったと言うと納得したようだった。腑に落ちない。

それからラスティを1人にするのは辞めた。
ベッドはダブルベッドにして、並んで寝るようにしてからはラスティが魘されることは無くなり、精神も安定するようになってきた。

普通の人生というものはよく分からないままだが、彼と共に支え支えられて生きていこうと心に決めた。
今のところ、食事中の彼はとても幸せそうで見ているこちらも気分が良くなる。彼のお気に召す食事を提供することが楽しみとなりつつあった。
明日の食事は何にしよう。
朝食のパンにスープもつけてもようか。

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