横流しチョコレート
アーキバス社内はどことなく落ち着きのない雰囲気が漂っていた。感情が希薄らしい第四世代がそう感じる程なのだから、何かただならぬ事態が発生しているのだろう。だが緊迫しているようには見えず、ルビコンの戦況も然程変わりない。ではなぜなのだろうか、必要であればウォルターへ報告をしなければ。近くを通りがかったV.VIIIへ声をかけて尋ねてみた。
「ああ。本日はバレンタインデーですからね」
「バレンタインデー…?」
初めて聞く単語を反復すると、彼は腕にかけられた紙袋をこちらへ見せる。
中には正方形の小さい箱が二つ入っていた。ほんのり漂う甘い香りは人工的に作られた香りだろうか。
「主に相手へ好意を伝えるイベントです。チョコレート…ここでは高級品なので、代替品が使われていますが…それを友人へ渡して日頃の感謝を、または意中の相手へ渡し告白に近いことをするという、チョコレートを販売している企業の弛まぬ努力で定着した文化です。ちなみに弊社内で義理と称して無闇に配る行為やチョコの強要は禁止となっています」
「そうか」
「あなたも渡してみては如何ですか?第四隊長殿に」
ウォルターの顔を思い浮かべていたところに急にV.IVを話題に出され頭を傾げる。
V.VIIIは俺がV.IVへ渡すことを疑いもしない目でこちらを見ている。確かにV.IVにも世話になっているので誤りではないが。
「チョコレートなど持っていない」
V.VIIIは珍しく嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。ちょうど良かった。私は他人から贈られた食べ物は口にしたくない主義なので、こちらの処分に困っていたのです」
「…ありがとう?」
腕にかかっていた紙袋ごと渡される。感謝・好意の表れらしい贈り物を他人へ譲渡しても良いのだろうか。問題ないのであれば気にするほどのことでもないが。有り難くいただいておこう。
「第四隊長殿は事務作業をされていました。メッセージを送ればすぐにここへ駆けつけるかと」
「ああ」
姿勢良く背中を向けて歩きだすV.VIIIを眺めながら、とはいえ呼び出すのは気が引けるな、と考えた。仕事中なのであれば邪魔をしない方が良いだろう。
帰路へ着こうとしたところで、腰に携帯している小型端末が通知を寄越した。
確認すると、V.Iからのようだ。
『執務室へ来い』
それだけのメッセージが届いている。
俺がアーキバスに来ているとどこから情報を得たのか知らないが、とりあえず断る理由もないのでV.Iの執務室へと向かった。
ドアを開けると、複数のモニターを空間へ広げたV.Iが忙しなく操作をしている。暇だから呼びつけたのかと思ったら違うらしい。
「そこに座っていろ。すぐ終わらせる」
視線で示された先はソファで、半分が何かの包みやら紙袋やら箱やらで埋まっていた。似たものを先ほど見た。V.VIIIから貰った紙袋だ。これと雰囲気が似ている。
「仕事中か」
「スネイルのやつ、お前が来る日に合わせてわざと業務を増やしたようだ。あと10分もすれば片付けられる。そこのを食べていていいぞ」
そこの、とされる隣の山を見つめる。
「…贈り物か?感謝や好意が込もっていると聞いた」
「そういうのはただの自己満足だ。甘いものは好きじゃないからいらないと言っても無理矢理置いていく。こちらがどう扱おうが構わないだろう」
「そうか」
不要な好意があるのか。V.VIIIのあれもそうなのかもしれない。と新たな知識が増えていく。
「…ん?」
「?」
ふとV.Iの手が止まり、こちらの手元へ視線が注がれる。
紙袋を凝視しているようだった。
「お前も押し付けられたのか」
押し付けられたと言われればそうなのだろう。
「ああ」
「いい趣味だ」
「…そうなのか?」
紙袋はオレンジ色が基調で、黒色のリボンがかけられている。どう見てもV.VIIIのエンブレムの配色だ。あいつの機体は悪くないので、そういう意味ではいい趣味だと言えるだろう。
「よし」
ガタリと椅子から立ち上がったV.Iは、モニターを全て消してソファの真ん中へ腰を下ろした。二人がけの来客用ソファは男二人と大量の贈り物を乗せるには狭すぎて、お互いに体の側面が密着している。近い。
そしてV.Iが座った勢いでソファの上にバランスよく乗っていた山が崩れて床へ散らばっていった。それを気に留めずこちらへ向いたV.Iと至近距離で目が合う。近い。
「何をする?」
「…ACしかな…いや待て」
紙袋の中に手を入れて四角い箱を二つ取り出す。
「V.IVに渡すつもりだったが、仕事中らしいからお前にやる。日頃の感謝の押し付けだ。好きに扱え」
「へぇ。あいつじゃなくて俺に?」
V.Iがにやりと口の端を上げる。
こちらから日頃の感謝の証としてチョコレートを渡し、ソファの山の中から一つ譲渡してもらおう。そうすればV.Iの不要な好意から贈り物が一つ増え、一つ減る。状況は変わらない為、何も問題ない筈だ。
「代わりに一つくれ。ウォルターの為に持ち帰りたい」
「構わない」
山の中にある目についた紙袋を手に取ったところで、こちらが手に持っていた箱をひとつ引き抜かれる。
箱が開かれて、中からチョコレートらしき茶色くて丸い食べ物が顔を出した。
山の中に放り込まれて来客用に使用されるのかと思っていたが、今食べるらしい。
「甘いものは好きじゃないんじゃないのか」
「嫌いだとは言っていない」
そう言ってV.Iはそれを口の中へ放り込んだ。パキパキと歯がチョコを砕く小気味よい音が聞こえてくる。
暫く咀嚼して飲み込んだあと、口の端をぺろりと舐めた。
「気分がいい」
やたらと上機嫌なV.Iは再びこちらに目を向けると、悪戯な笑みを浮かべた。
「お前は食べないのか」
「俺はいい」
「食べさせてやる」
なぜ?と口に出す前に、残った一つの箱を開けられ中の丸くて甘い香りのするものを口の中へ押し込まれた。
「むぐっ…」
表面がつるっとしたそれを歯で砕くと、細かくなった破片が口の中で溶けて人工甘味料の甘みが口の中へ広がる。苦味も多く感じるのはV.VIIIを想ってのことか、食べやすくて美味しい。
「お前は案外愛らしいな」
「…何?」
「食べたか?やるぞ」
言いつつソファを立ったV.Iは早足で部屋から出ていくので慌てて追いかけた。
シミュレーターで暫くV.Iと戦ったあと帰路へつこうとしたところで、廊下の奥からV.IVが歩いてくるのが目に入った。
両手に抱えきれないほどの荷物を抱えていて、恐らくあれも贈り物だろうと思案する。色鮮やかなそれらが花束のようだった。
「やあ戦友。今日という日に君と会えて良かったよ。すれ違ったまま会えないかと思っていたが、運が私に味方をしたようだ」
両手が塞がっているので、いつものようにひらりと挙げられる手はなく、整った笑みのみが向けられた。
その両手にある今にも崩れ落ちそうな山は見た目より安定しており、強化人間の姿勢安定性能が遺憾無く発揮されているようだった。
V.IVはこちらの手元を見て、ほんの一瞬目を見開いた。…が、またいつものように微笑みを湛える。
「チョコレートを貰ったのか」
「ああ。お前も」
「有難いことにね。だが残念ながら一番欲しい人からはまだ貰えていないんだ」
「そうか」
わざわざ付け加えられた一番欲しい人、という情報が引っかかった。何か意図があってのことだろうが、自分のことを話さない彼の交友関係にこれについてはあまり知らない。心当たりがなく、左上の方へ留まっていた視線を正面へ向けると、ただ閉口してこちらを眺めていたらしいV.IVがひとつ苦笑をした。
「私から君にチョコを贈りたいんだが、この通り両手が塞がっていてね。私室までついて来てもらうことは可能かな?」
「構わない」
「ありがとう。戦友」
横に並んで白い廊下を歩く。
その大荷物を少しばかり持った方がいいだろうか、と、ウォルターの荷物は率先して持つようにしている普段の行動からの疑問が湧く。だがV.IVは身体強化をしている強化人間であるし足は悪くない。そして雇用人でも指揮官でもなければただの…僚機、戦友、友である。気遣いは却って無礼となるか、それとも。とぐるぐると考えていたら、彼の方から口を開いた。
「そのチョコは誰から?」
静かな問いだった。目を合わせると微笑みで返される。
「V.I」
「…そうか。先を越されたな」
少しだけ悔しそうなV.IVは続ける。
「君は誰かにあげたのか?」
「ああ。V.Iへ贈った」
V.IVが目を細める。
「…理由を聞いてもいいか?」
「V.Iに世話になっているからだ」
「それは…そうかもしれないが」
煮え切らない返答をするV.IVを見上げると、普段ならノータイムで合わせられる視線が一向にこちらへ向けられない。
少しだけ寄せられている眉間の皺を見るに、恐らく不愉快な思いをしているのだろうと予想する。しかし何にだろうか。会話の流れからすると、V.Iに先を越されたことか、V.Iへ贈ったことか、V.Iに世話になっていることか。
「ついたよ。中へどうぞ」
V.IVの顔認証で開かれた扉をくぐる。
前来た時と変わらない質素な部屋に少しだけ安心して息を漏らす。V.Iの部屋はごちゃついていて落ち着かないから、必要最低限のものしかないこの部屋には親近感さえ覚える。
部屋の角にあった製図版のように大きい机に両手で抱えていたものを器用に全て置くと、こちらに振り返ってふわりと笑った。
「イベントに然程興味は無かったが、戦友がいるとこうも違うとはね」
「…どういう意味だ?」
「楽しみが増えたということだよ」
V.IVは机の引き出しを開け、中から直方体の箱を取り出した。黒を基調としたその箱は、白いリボンが一周回って正面で留められている。
差し出された贈り物を受け取る。
「いつもありがとう。戦友。できれば今後も仲良くありたいものだな」
「ありがとう。こちらこそ、V.IVが僚機にいると心強い。今後とも贔屓にしてもらえると有り難い」
「はは。ビジネスパートナーのような返答だな?戦友」
「実際にそうだろう」
「私は君とはもう少し深い関係だと思っているよ」
「深い…?」
ビジネスパートナー、戦友、友人、どれもこれも難しい単語ばかりだ。どれが浅くてどれが深いのか、記憶を失う前の俺であれば理解できたのだろうか。
「さて、そろそろ帰らないといけないんじゃないか?君のハンドラーが心配する」
時刻を確認すると、確かにすぐ帰ったほうがよさそうな時間だった。
「俺からはこれを」
まさかV.IVに出会うとは思っていなかったが、出会ったのであれば日頃の感謝を伝えた方が良いだろう。紙袋を差し出すと、怪訝そうに眉が不可思議な形をとっている。
「これは…貰ったものじゃないのか?」
「ああ。問題が?」
「問題ではあるな」
「む…?」
V.IVに促されて今までの経緯を話すと、片手で顔を覆って項垂れた。呆れているようだ。
「戦友。そもそも人からの贈り物を他人へ譲渡するのはあまり褒められた行為ではないな。バレなければ問題ないが、倫理的には問題がある」
「そうか」
「だが、それを戦友が持ち帰るのは癪に障るから貰っておこう」
「分かった。…?」
言動がちぐはぐだ。
「じゃあ、また会おう。戦友」
紙袋を手から抜き取られて肩を掴まれた。
顔が近づき、そのまま正面からぶつかるかと思えば横に逸れ頬同士が触れ合う。それは一瞬で、すぐに離れていった。
「…?これは?」
「親しい友人への挨拶だ。…君だけに特別だよ」
「?…そうか」
親しい友人が俺しかいないのだろうか。人当たりの良いV.IVの交友関係に不思議に思いつつも、その挨拶は胸の辺りがふわふわと温かくなり心地が良いものだった。ハグと似た効能がある。
いつもはACの手前まで送ると言ってきかないV.IVは立ち止まったままなので、今日は部屋で解散らしい。更に疑問符を浮かべながら部屋を出て格納庫へと向かった。
*
戦友が部屋を出て行って、そわそわと落ち着かない体を鎮めるためにベッドへ倒れ込んだ。
先ほど触れた頬を手で覆って、自然と口角が上がる。
「帰したくなくなってしまうな」
深いため息と共に呟いたそれは、ひとりだけの空間に溶けて消えていった。
アーキバスを出て、離れた地に隠すように停めてある拠点である輸送ヘリへ戻るがウォルターはいない。
ルビコンへ先行して不法入星した俺が比較的安全な放棄地点へビーコンを置き、それを元にウォルターが封鎖機構の目を逃れ入星する。その後一度合流し、星外企業へ顔合わせに挨拶へ行ったきり、別行動だ。
友人からの依頼でルビコンの調査を行っているらしい。
『621、今日も問題は無かったか』
夜の定期通信の時刻となり、定刻通りウォルターから通信が入った。
「ああ」
『そうか。飯は食べたか』
「ああ」
『体に不調はないか』
「ああ」
『621から報告はあるか?』
「……今日は…」
『…ああ、何だ』
「今日はバレンタインデーというものだと、V.VIIIに聞いた」
『ああ…そうだったな』
「ウォルターに感謝の証としてチョコレートを贈りたい」
『…621、俺には不要だ。俺は仕事をしているだけで、お前に感謝されるようなことは何ひとつしていない』
「全てに感謝している。今からそちらへ行ってもいいか」
『……621』
「あれからウォルターに会っていない。…会いたい」
『…お前のその感情は、大切にしろ。だが向けるべき相手は俺じゃない』
「ウォルター」
『……チョコレートはどこで手に入れたんだ』
「V.IVから贈られた。贈り物を横流しするのは良くないらしい。ドローンで届けるのではなく、直接会って分け合って食べたい」
『……』
「ウォルター」
『……分かった。621、座標を送る』
「ありがとう」
交信で応援してくれていたエアの助言を受けながら、引き下がることなく強引めな交渉することで約束を取り付けることに成功した。
「エアのお陰だ。ありがとう」
『いいえ。レイヴン。貴方の真心が伝わったのでしょう』
「お前にも日々世話になっている。エアがいなければここまで来られていない」
『私はやりたいことをしているだけです。これからもサポートをさせてくださいね』
「ああ。これからもよろしく頼む」
ACに乗り込み、そわそわとした気持ちでアサルトブーストを吹かした。