繋がらない回線
解放戦線に回収されてから二週間が経とうとしていた。
慣れない共同生活と慣れない騒がしい空間に少しだけ慣れてきた頃、彼の顔や声が脳裏をちらつくことが増えた。
この人混みに、あの雪の隙間に、遠くで見えるRaDの基地に、もしかしたらいるかもしれない。もしかしたらなんともなかったかのように通信が入るかもしれない。彼しかいなかった星外のオーバーシアーの施設に戻ればそこにいるかもしれない。
目を覚ましてから毎日のようにウォルターに通信を試みている。
まだ、繋がったことは一度もない。
「……」
深夜、ラスティが深い睡眠に入っていることを確認して部屋を抜け出す。
無人の格納庫にある自身のACに乗り込んでログの一覧を表示した。
目を覚ましてからまだ一度も開くことがなかったログ、そこには彼からの通信やメッセージがそのまま保存されている。
これを聞くと戻れなくなる気がして手をつけなかった。
でももう、時間が経つにつれて彼がいないことに耐えられなくなってきている。
ひとつ、深呼吸をする。
画面を操作してひとつめのログを再生した。
ルビコンに来る前、訓練として別の星で比較的簡単な依頼をこなしていた。その時の初任務時のログだ。
低く、端的で、でも優しさが滲む声が、久しぶりに耳に入って、脳が揺れる。
ふたつめのログ、初任務後でぼろぼろのままコックピットから動けないでいると、今からそちらへ行くから待っていろと努めて静かに伝えられた時の通信だ。そのあとハッチを開けて顔を見せたウォルターがとても心配そうにしていたのをよく覚えている。
みっつめのログ、と画面を触ろうとする自分の指が視界に入った。寒くもないのにそれは小刻みに震えていて、不可解だ。
画面の文字も、滲む視界で文字が上手く見えていないことに気付く。
どうやら息もきちんとできていないらしい。
吸って吐いているのに酸素を取り入れられない。ACのエンジンよりもうるさい心臓のあたりを掴んだ。
『戦友、そこにいるのか?』
「!」
ACに通信が入る。
運悪く目が覚めた世話焼きの彼は俺を探しに来たのだろう。だが、今この状態の自分を彼には見られたくない、と思った。
浅い呼吸を繰り返し、震える手でACと自身をコードで繋ぐ。脳波で直接メッセージを送った。
『すぐ戻る。先に寝ていてくれ』
人工音声で返されたその言葉に、あのコックピット内でよくないことが起こっていると瞬時に理解し、その時にはすでに足が動いていた。
通常の人間のそれより強化された足でACのコアへ飛び乗り、急いでハッチを開ける。
そこには息を上げて苦しそうにしている戦友と、画面上には見覚えのあるロゴが表示されていた。
「なぜ、きた」
「君が心配でね」
こちらを睨み付けて見上げる戦友を無理矢理担ぎ出して、コアの上に下ろした。後ろ手でハッチを締め、力なく座り込んだ彼を正面から抱きしめて、上下する背中をさする。
「大丈夫かい」
「ああ、すぐ、よくなる」
腕の中にいる戦友は、こちらに縋ることもなくただ自身の胸元を握り締めて必死に耐えていた。
縋り付いてくれれば、と一瞬でも頭に過った考えを、歯を食い縛ることで消し去った。
「すまなかった」
目元を赤くしている戦友は、何もなかったかのように立ち上がる。
「戦友」
「もう大丈夫だ」
そんなわけがない。ついさっきまで呼吸もまともにできていなかったのに。
こちらも立ち上がって戦友の手を取ろうと手を伸ばした。が、避けられてしまう。
「今は一人にしてくれないか」
「どうしてだい?」
一歩近付くと、二歩後ろへ下がる。
「今は、誰も近寄ってほしくないからだ」
明確に引かれた線に、おとなしく従うつもりはなかった。
戦友は尚も近づこうとする私を睨み付け、明らかに怒気を含む声を向ける。
「なんのつもりだ?」
「私は…」
嫉妬しているのだ。彼の主人に。
再会した時こそ感情を見せてくれた戦友だが、その後は凪いだ海のようだった。ACに乗っていると安心するから、と依頼を詰め込み、帰ってきては寝て、早い時間から出撃してベッドはもぬけの殻、ということをここ最近は繰り返していた。
うっすらと気付いていた。仕事に打ち込み、何かから目を背けていたのだ、戦友は。
そしてそれは、私ではどうすることもできないことだった。
戦友の中の唯一に、成り代わることすらできない。
「君の、支えになりたい」
向けられた表情は、嫌悪感、だった。
やめてくれ、そんな顔は見たくない。
どうしてだ。彼と私で、何が違う。
「俺とウォルターの間に入るな」
立ち尽くすラスティを視界に入れずにコックピットへ入る。
ACを起動させ、ラスティを極めて慎重に掴んで、近くのゴミ箱へと軽く投げた。あそこは各パーツの汚れを拭った後の布を洗濯に出す用の箱だ。怪我はしないだろう。
解放戦線の格納庫から出て、積もった雪と灰を蹴散らしながら空を見上げる。
暗く、高く、星がよく見える綺麗な空だった。
ただただACを走らせた。
たまに飛んで、エネルギーの続く限り飛び続けて、宇宙へ届かず、落ちる。
水の上は抵抗が少し強くて、伝わる感覚が面白い。
雪と灰は軽いが、塊があったりして面白い。
吹雪は嫌いだ。視界が悪い。
吹雪が止んで、コーラルが薄く空を覆っているのが見えた。
同時に地平線の向こうから太陽が顔を出す。
赤く燃える背景と、ウォルターの機体を思い出した。
網膜に焼きついたそれは消えない。
回線を開く。
「ウォルター」
ノイズしか返さない回線へ、メッセージを。
「ごめんなさい」
濃く広がる赤い空がこちらを見下ろしていた。
部屋に戻ると、ベッドの淵に座って足を組んでいるラスティがいた。
「朝帰りか。いけない子だな」
「……」
怒っているように見える。それはそうだ。怒られても仕方がないことをしたのだろう。彼の良心を踏み躙った、と思う。
「ずっと待っていたのか?」
「ああ、あと少し遅かったら探しに行くところだったよ」
「心配せずとも帰還する」
「さて、どうだか」
立ち上がったラスティは俺の目の前で立ち止まり、外の冷気ですっかり冷たくなった頬を指先で撫でた。
「君がもし私の前からいなくなっても、必ず見つけ出す」
「ラスティ」
今度はこちらが、彼の頬を手で覆う。しっかりと目が合わさるように。こちらを見ろと、言外に告げる。
「ラスティ、俺は…この星を焼かないことを選んだ」
「ああ…そうだな。ありがとう。本当に感謝しているよ」
「理由はお前だ」
瞳が揺れるのが見えた。
「……私?」
「友を…友が愛するこの星を、殺したくなかった」
「……」
「結果として…多くのものを失ったが…それは、俺の選択だ。だからこれは、俺だけのものだ」
「それだけは譲れない」
そこには、焼け落ちたザイレムの炎が、瞳の奥で燻ったままの戦友の姿があった。